水郷柳河

北原白秋・水郷柳河の現代語版

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

水郷柳河(五)

九月に入って登記所の庭に黄色い鶏頭の花が咲くようになっても、まだコレラは止む気色もない。若い町の弁護士が忙しそうに粗末なガラス戸を出入りし、蒼白い薬種屋の娘の乱行の漸く人のうわさに上るようになれば、秋はもう青い渋柿を搗く酒屋の杵の音にも新…

水郷柳河(四)

日光の直射を恐れて羽蟻は飛びめぐり、掘割には水涸れて悪臭を放ち、病犬は朝鮮薊の紫の刺に後退りつつ咆え廻り、蛙は青白い腹を仰向けて死に、泥臭い鮒のあたまは苦しそうに泡を立てはじめる。七八月の炎熱はこうして平原のいたるところの街々に激しい流行…

水郷柳河(三)

とはいえ大麦の花が咲き、からの花も実となる晩春の名残惜しさは、青臭い芥子(けし)の花房や新しい蚕豆(そらまめ)の香りにいつしかとまたまぎれてゆく。 まだ夏には早い五月の水路に杉の葉の飾りを取り付け始めた大きな三神丸の一部をふと学校帰りに発見…

水郷柳河(二)

折々の季節につれて四辺の風物も変わる。短い冬の間にも見る影もなく汚れ果てた田や畑に、刈株だけが鋤き返されたまま色もなく乾き尽し、羽に白い斑紋を持った怪しげな高麗烏のみが廃れた寺院の屋根に鳴き叫ぶ、そうして青い股引をつけた櫨(はじ)の実採り…

水郷柳河(一)

私の郷里柳川は水郷である。そうして静かな廃市の一つである。自然の風物は如何にも南国的であるが、既に柳河の街を貫通する数知れぬ掘割の匂いには日に日に廃れていく古い封建時代の白壁が今なお懐かしい影を映す。肥後路より、あるいは久留米路より、ある…