水郷柳河

北原白秋・水郷柳河の現代語版

水郷柳河(五)

 九月に入って登記所の庭に黄色い鶏頭の花が咲くようになっても、まだコレラは止む気色もない。若い町の弁護士が忙しそうに粗末なガラス戸を出入りし、蒼白い薬種屋の娘の乱行の漸く人のうわさに上るようになれば、秋はもう青い渋柿を搗く酒屋の杵の音にも新しい匂いの爽やかさを忍ばせる。

 祇園会が終わり秋もふけて、線香を乾かす家、からし油を搾る店、パラビン蝋燭を造る娘、提燈の絵を描く義太夫の師匠、ひとり飴形屋の二階に取り残された旅役者の女房、すべてがしんみりした気分に物の哀れを思い知る十月の末には、まず秋祭りの準備として柳川のあらゆる掘割は、あらゆる市民の手によって、一旦水門の所を閉ざされ、水は干され、魚は掬われ、なまぐさい水草は取り除かれ、溝(どぶ)どろは綺麗にさらい尽くされる。この「水落ち」の楽しさは町の子供の何にも代え難い季節の華である。そうしてこのひと騒ぎの後から、またひさしぶりに清らかな水は廃市に注ぎ入り、楽しい祭の前触れが異様な道化の服装をして、ラッパを鳴らし拍子木を打ちつつ、明日の芝居の芸題を面白おかしく披露しながら町から町へと巡り歩く。

 祭りは町から町へ日を異にして準備される。そうして彼我の家庭を挙げて往来しては一夕の愉快なる団欒に美しい懇親の情を交わすのである。それだけでなく、知る人も知らぬ人も酔っては無礼の風俗おかしく、ザボンの実のかげに幼児と独楽を回し、戸ごとに酒をたずねては浮かれ歩く。祭りの後の寂しさはまた格別である。野は火のような櫨紅葉(はじもみじ)に百舌(もず)がただ鳴きしきるばか、何処からともなくさすらってきた傀儡師(くぐつまわし)の肩の上に、生白い華魁の首が、カックカックと眉を振る物凄さも、何時の間にか人々の記憶からかき消されるように消え失せて、寂しい寂しい冬が来る。