水郷柳河

北原白秋・水郷柳河の現代語版

沖ノ端(二)

 沖ノ端の写真を見る人は柳、栴檀(せんだん)、石榴(ざくろ)、櫨などのかげに、しかも街の真中を人工的水路の、水もひたひたと白く光っては芍薬の根を洗う洗濯女の手に波紋を描く夏の真昼の光景に一種のある異国的情緒が微かに漂うのを感じるであろう。あの水祭はここで催され藍玉の俵を載せ、あるいは葡萄色の酒袋を香りの滴るばかり積み重ねた小舟は毎日ここを上下する。正面の白壁はわが叔父の新宅であって、高い酒倉は甍(いらか)の上部を現すのみ。こうして、私の母屋はこの水の右折して、ついに二条の大きな樋に極まり、渦を巻いて鹹川(しおかわ)に落ちてゆくその袂から、是に左となるところにある。

 今は銀行となったが、もとはやはり姻戚の阿波の藍玉屋のなまこ壁の隣に越太夫という義太夫の師匠がいつも気軽な肩肌ぬぎの婆さんと差し向って、大きな大きな提燈を張り替えながら、極彩色で牡丹に唐獅子や、桜のちらしなどをよく書いていた藁葺きの小店と、それに相対して同じようななまこ壁の旧家が二つ並んでいる。いずれも魚問屋で右が醤油を造り、左が酒を造った。その酒屋の、私はTonkaJohn(大きい坊ちゃん、弟と比較していう、オランダ訛りか)である。して、隣はやはり祖父時代に分かれた北原の分家で、後には醤油醸造を止めた。

 南町の私の家を差し覗く人は、薊やたんぽぽの生えた古い土蔵づくりの朽ちかかった 屋根の下に、渋い店格子をとおして、銘酒を満たした五つの朱塗りの樽と、同じ色の桝のいくつかに目を留めるであろう。そうしてその上の梁の一つに紺色の可憐な燕の雛が懐かしそうに、牡丹いろの頬をちらりと巣の外に見せて、ついついと鳴いている日もあった。土間は広く、店いっぱいの薬種屋式のガラス戸棚には曇ったわさび色の紙が張ってあって、その中ほどの柱にオランダ渡の古い掛け時計が、まだ正確に、その扉の絵の、眼の青い、そして胸の白い女の横顔の上に、チクタクと秒刻の優しい歩みを続けていた。その戸棚を開けると、緑礬(りょくばん、硫酸塩鉱物の一種)、硝石、甘草、肉桂(にくけい、クスノキ科の常緑高木)、薄荷、どくだみの葉、中には売薬の版木等がしんみりとこんがらがった一種異様の臭を放つ。それはある漂流者がここに来て食客をしていた時分密かに町の人に薬を売っていたのが、亡くなったので、そのままにしてあるという、旧い話であろう。