水郷柳河

北原白秋・水郷柳河の現代語版

水郷柳河(一)

私の郷里柳川は水郷である。そうして静かな廃市の一つである。自然の風物は如何にも南国的であるが、既に柳河の街を貫通する数知れぬ掘割の匂いには日に日に廃れていく古い封建時代の白壁が今なお懐かしい影を映す。肥後路より、あるいは久留米路より、あるいは佐賀より筑後川の流れを超えて、わが街に入り来る旅人はその周囲の大平野に分岐して、遠く近くの鮮やかな銀色の光を放っている幾多の人工的河水を眼にするであろう。そうして歩くにつれて、その水面の随所に、菱の葉、蓮、真菰、河骨、あるいは赤褐黄緑その他様々な色の水面に浮かぶ藻の強烈な更紗模様の中に、微かに薄紫のウォーターヒヤシンスの花を見つけるであろう。水は清らかに流れて廃市に入り、廃れはてた遊女屋の人影もない厨の下を流れ、洗濯する女の白い酒布を揺らし、水門にせき止められては、三味線の音の緩む昼過ぎには小料理屋の黒いダリヤの花に歎き、酒を造る水となり、汲水場に立つ湯上りの素肌しなやかな肺病女の唇をすすぎ、気の弱いウグイスの毛に乱され、そうして夜は観音講のなつかしい提灯の火をちらつかせながら、樋を隔てて海近き沖ノ端の鹹川(しおかわ)に落ちてゆく。静かな幾多の掘割はこうして昔のまま白壁に寂しく光り、たまたま芝居見の水路となり、蛇を泳がせ、変化が多い少年の秘密を育む。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。