水郷柳河

北原白秋・水郷柳河の現代語版

水郷柳河(二)

折々の季節につれて四辺の風物も変わる。短い冬の間にも見る影もなく汚れ果てた田や畑に、刈株だけが鋤き返されたまま色もなく乾き尽し、羽に白い斑紋を持った怪しげな高麗烏のみが廃れた寺院の屋根に鳴き叫ぶ、そうして青い股引をつけた櫨(はじ)の実採りの男が静かに暮れてゆく卵色の梢を眺めては無言に手を動かしているほかには、展望の広い平野だけに何ら見るべき変化もなく、すべてが陰鬱な光に被(おお)われる。柳河の子供はこういう時幽(かす)かなシユブタ(鮠(はや)の一種)の腹の閃きにも話にきく生胆(ぎも)取りの青い眼つきを思い出し、海辺の黒猫はほほけ果てた白い穂の限りもなく戦いでいる枯葦原の中に、じっとうずくまったまま、過ぎゆく冬の囁きに昼もなお耳をかたむけて死ぬのであろう。

 

いずれにもまして春の季節の長いという事はまたこの地方を限りなく悲しいものに思わせる。麦がのび、見渡す限りの平野に黄色い菜の花の毛氈(もうせん)が柔らかな風に薫り始めるころ、まだ見ぬ幸を求めるために、うら若い町の娘の一群は笈(おい)に身を寠(やつ)し、哀れな巡礼の姿となって、初めて西国三十三番の札所を旅して歩く。(巡礼に出る習慣は別に宗教上の深い信仰からでもなく、単にお嫁入りの資格としてどんな良家の娘にも必要であった。)その留守の間にも水車は長く閑かに廻り、町はずれの飾屋の爺は大きな鼈甲(べっこう)縁の眼鏡をかけて、怪しい金象眼の愁いにチンカチと槌を鳴らし、片思いのブリキ職人はぢりぢりと赤い封蝋を溶かし、黄色いチャイナ服の承認は生温かい挨拶の言葉をかけて家々を覗き始める。春も半ばとなって菜の花もちりかかるころには街道のところどころに木蝋をならして干す畑が蒼白く光り、そうして狐憑きの女が他愛もなく狂い出し、野の隅には粗末な蓆(むしろ)張りの円天井が作られる。その芝居小屋のかげをゆく馬車のラッパのなつかしさよ。