水郷柳河

北原白秋・水郷柳河の現代語版

沖ノ端(一)

 柳河を南に約半里ほど隔てて六騎(ろっきゅ)の町沖ノ端がある。(六騎とはこの街に住む漁夫のあだ名であって、昔平家没落の砌(みぎり)に打ち洩らされた六騎がここへ落ちてきて初めて漁(すなど)りに従事したという、そしてその子孫が代々その業を受け継ぎ、繁殖して今日の部落を為すに至ったのである。)つまるところは柳河の一部と見做すべきも、海に近いだけ全ての習俗もより多く南国的な、怠惰なしまりのない何となく投げやりなところがある。そうしての柳河のただうわべに取りすまして廃れた薄絹のかげに淫らな秘密を隠しているのに比べれば、すべてが露わで、げんきで、また華やかである。かの巡礼の行楽、コレラ避けの花火、さては古めかしい水祭りの行事などおおかたのこの街特殊のものであって、張りの強い言葉つきも淫らに、ことにこの街のわかい六騎は暖かければ漁をし、風の吹く日は遊び、雨なら寝て、空腹になれば食い、酒を飲んでは月琴を弾き、夜はただ女を抱くという風である。こうして宗教を遊楽に結び付け、遊楽の中に微かに一味の哀感をつないでいる。観世音は永久(とこしえ)にうらわかい町の処女によって仕えられ(各町に一体づつの観世音を祭る、祭りの日にはそれぞれある店の一部を借りて開帳し、これに使えるわかい娘たちは参詣の人にくろ豆を配り、或いは小屋をかけていろいろな催しをする。そうしてこの中の資格は処女に限られ、縁づいたものは籍を除かれ、新しい年頃のものが代わって入る。)天火のふる祭りの晩の神前に幾つとなくかかげる牡丹に唐辛子の大提灯は、また若い六騎の逞しい日に焼けた腕でかかげられ、霜月親鸞上人の御正忌(命日)となれば七日七夜の法要に寺々の鐘が鳴りわたり、朝のお経に詣でるといっては、わかい男女が夜明け前の街の溝石をからころと踏み鳴らしながら、御正忌参りましょうか・・・・の淫らな小歌に浮かれて逢引の楽しさを仏の前に祈るのである。